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Sydney 2002" 開催中!
【2002年11月8日】

2000年に行われたオリンピックのことを英語では、"Sydney 2000 Olympic Games" という。オーストラリアでは、"Sydney 2000" と言えば、誰もがオリンピックのことを思い浮かべる。

さて、今、この街では、"Sydney 2002" が開催されている。といっても、その後に続く言葉はもちろん「オリンピック」ではない。"Gay Games VI Sport & Cultural Festival"  つまり、同性愛者のためのスポーツ&文化フェスティヴァルなのだ。「ゲイ・ゲームズ」は1982年に初めて開催され、今年でちょうど20周年を迎えるかなり大きなイヴェントである。

"Sydney 2002" がニュー・サウス・ウェールズ州の経済へ与える影響は、なんと1億ドル! アスリートの数だけでも、今年マンチェスターで行われたコモンウェルス・ゲームの2倍以上の約13,000人というから、その規模が分かってもらえるだろうか? さらに、文化部門で数千人参加者がいる上、ボランティアとして約4,000人が関わっている。ご存知(かどうか分からないけれど……)の通り、シドニーはゲイ&レズビアンのメッカ。ゲイ人口はサンフランシスコの方が多いけれど、人口に占めるゲイ密度(?)は世界一を誇っている。

文化関連のイヴェントは10月25日に始まり、11月2日には35,000人以上の観衆が、オージー・スタジアムで行われた開会式を4時間半に渡って楽しんだ。オリンピックを思い出させる豪華でカラフルな、かつスタイリュッシュなセレモニーだったのは、さすがだけれど、しっかりメッセージ性の強い内容も含まれていた。そこで歌われた曲名をいくつかあげてみるだけでも、それは分かると思う。

 ♪This is My Life
 ♪I Am What I Am
 ♪You'll Never Walk Alone
 ♪Our Day Will Come
 ♪You Gotta Be"
          etc.....

イラクから来た選手への温かいまなざし。インドとパキスタンのチームが一緒に行進したときの、ひときわ高い拍手。エイズで亡くなった人々のために観衆が掲げたキャンドル。この国のゲイとしては、たぶん社会的に一番高い地位にいる最高裁判所裁判官マイケル・カービー氏のストレートで心に響くスピーチ。お祭り騒ぎの中にも、彼らはしっかりと主張する姿勢を忘れてはいない。

カービー氏はスピーチの中で、「この30年間でオーストラリア社会がどのくらい変わったか」について、個人的な体験をまじえて語っていた。オーストラリアは、今でこそゲイに限らず、人種・民族・宗教などさまざまな理由でマイノリティ(=少数派)に属する人々に対し、先進的な立場を取る国になったが、30年前といえば、白豪主義にようやくピリオドを打ったころ。毎年2〜3月にかけて行われる有名なマルディグラの「ゲイ&レズビアン・パレード」にしても、同性愛者の権利を主張する1978年のデモ行進がその始まりだった。

今回参加している82ヵ国のうち、24ヵ国では、宗教上の理由などから、ゲイが禁止、または違法とされているそうである。ゲイ・ゲームズは、サンフランシスコで1回目、2回目が行われ、バンクーバー、ニューヨーク、アムステルダム、今回のシドニー、次回のモントリオールへと続き、いずれも自由な気風を持つ、マイノリティーに寛容な、多文化共存を実践する街で行われている。いつか、日本でも開催される日がやってくるのだろうか?

(「地球の歩き方」ホームページ・シドニー特派員レポート掲載)

 
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